ポケモンレジェンズアルセウス:時代考察

みなさん、ポケモンレジェンズアルセウス遊んでいるでしょうか。

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遊んでいるという人はもちろん、持ってはないけど動画を見たり、聞いた事ならあるよという人が多いと思います。

早速本題ですが、アルセウスの初公開映像での舞台説明の際「シンオウ地方が、まだ大自然に包まれていたはるか昔の話」というナレーションがありました。ここで一つ疑問が生じます。それって一体具体的にいつのことですか?

ということで発売から少しですが自分なりに考察しまとめていきたいと思います。

🔺記事の都合上、多分に本編のネタバレを含む内容です。ネタバレを嫌う方は読むのをお控えください。

 

前提ーー

アルセウスの時代を考察するのですが、まず最初にダイヤモンドパールのシンオウ地方の時代がいつかを決めなければ考察ができません。これは大まかにですが私たち現実世界の現代と同じくらいと考えてよいでしょう。多少オーバーテクノロジーな部分や、逆にレトロチックな部分を感じさせる趣もありますが、そもそも世界線が違うため同じような発展の仕方ではないでしょうからあまり細かく考えないでおきましょう。

 

更に、前もって決めておかなければならないのは、考察の方法です。ヒスイの暮らしがアイヌの文化を参考にしているのはほぼ明白と言っていいでしょうが、もしアイヌ地方にポケモンが住んでいたら、といったようなifストーリーを展開したゲームではありません。そのため「服装がアイヌの○○の時期のものと合致しているから」といったような推察をするのはやや的外れなように感じます。つまり身だしなみなどの文化を現実世界と照らし合わせるようなことは、今回はやめておきます。言ってしまえば、同じような紋様、スタイルの服装であれば機会さえあればいつでも(それこそ人類が文明を生み出した時点から)作れる可能性があります。

そこで私はヒスイの科学技術や文化の発達度、生活の様子などからおおよその年代を考えたいと思います。もちろん材料と知識と工具さえあればエジプト文明に飛行機を飛ばすことも可能でしょうが、その「知識」を生み出すために人は長い年月をかけてきたのです。文化そのものでなく文化の発展方法についても通じる話ですが、人が集まったからと言って、一昼夜で統治国家ができるわけではありません。ヒトの歴史は一つしかありませんが、各地域に分けてみると、それぞれで長い年月をかけて文明を築いてきました。それらと照らし合わせることでヒスイの時代を考察していきたいと思います。

 

また考察内容は日本の歴史と照らし合わせるのみに限り、外国の歴史は基本考慮しないことにします。

 

前置きが長くなりましたが次からが考察の内容です。

 

  • 「ムラ」の制度について

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ポケモンレジェンズアルセウスの舞台になるのは「コトブキムラ」というムラですが近代以前の「ムラ」に似ています。村は今も昔も村じゃないの?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、現代で言う「村」というのはどちらかというと行政的必要から県や市を細かく分割した物理的な領域の意味合いが強く、近代以前の「ムラ」というのは近くの土地に住む人が集まり、共に暮らす概念的な共同体の意味合いが強かったのです。共同体の考え方が強かったからこそ、共同体に属する人々は地縁的つながりを大事にします。アルセウスにおいて、主人公は天冠の山麓の時空の裂け目から落ちてきたと言われていますが、いわば主人公は「よそ者」であり、当初は村人から警戒されておりストーリー終盤ではムラから追放までされるにいたります。

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以上長くなりましたがこの「ムラ」の性質が残っていた時代は、現代で言うところの縄文末期から明治あたりぐらいまでになります。あまり絞れていません。

 

それでは、もう少し踏み込んで考えてみましょう。共同体としての「ムラ」が増えてくるとやがてムラ同士での用水路や林野の利害が衝突したり、飢饉や干ばつなどで十分な生活の質を保てなくなるとやがてムラ間で争いが起こり、武力をもって他のムラを制圧するようになります。こうして負けたムラが買ったムラの支配下に置かれることでより大きな生活群「クニ」ができてきます。これが弥生時代ごろのお話です。

ではヒスイではどうでしょうか。コンゴウ団とシンジュ団間で争いが起こっているようですが「クニ」と呼ばれるほどの規模には達していません。またヒスイに初めからほかの部族がいるような描写はありません。では弥生時代以前なのでしょうか。少し気になるのはゲーム内の描写でコンゴウ団が平和な地を求めてヒスイにやってきたということです。

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ヒスイ以外での諸地方ではムラ同士の争いが活発化したりクニに準ずる共同体があったのかもしれません。またヒスイの地理的特徴として周りを海に囲まれた島です。ヒスイの正確な大きさがどれほどかは定かではありませんが、一般に離島では本島より、島国では大陸より文明の発展が遅い傾向にあります。土地が狭いほど生活できる人数の上限や利用できる資源が少なくなり、海上を超える争いを除けばその分他地域からの侵略が少なくなるようです。そもそも始まりが弥生とはいえクニの形態が活発に広まりだしたのは豪族が形成されるような古墳時代であるため、ムラからクニへの転換期であったのかもしれません。ここまで考えるとムラの形態からは現代で言う弥生から古墳時代、1500年以上は昔のことであると考えられます。特にヒスイを含めて他地方の描写であっても統一国家の様相を感じさせていないことは、まだまだ歴史的に初期の段階にあったことを伺わせます。

 

こちらの画像から、生活内に蒸気機関を用いた道具が使われていることがわかります。他にも技術があるのになぜ蒸気機関に着目したかということですが、現実の世界において蒸気機関の実用化というのは当時の生活スタイルを根本から覆す大きな出来事でした。皆さん中学で習ったいわゆる「産業革命」です。工場は人力から機会に自動化され、大量生産を可能にし低コストで多大な利益をもたらしました。ではその蒸気機関の発明の時期ですが、実は紀元前1世紀にはアレクサンドリアのヘロンが蒸気エンジンを用いたガジェットの制作を行っています。ただしこれはあくまで実用的なものではなく、実際に蒸気エンジンが生活に浸透するのは17世紀ごろまで時を隔てることになります。17世紀の蒸気機関の用途は、炭鉱から鉱物を掘削する際に出る余分な水を排出するのに用いられました。そして日本に蒸気機関が伝わったのは遅れに遅れ、鎖国が明ける1850年ごろです。幕末の外国が開国を求めて往来をしていた時に蒸気機関の模型を幕府に紹介した記録が残っています。

ここでアルセウスの時代との比較を行ってみましょう。ギンガ団の建物には蒸気を用いる機械があるように見え、ボールからは蒸気が発生しています。ただし産業革命期のような大規模工場などに用いられているのではなく一般の家庭にはまだ水車の動力源も残っています。ゆえにヒスイ地方における蒸気機関の取り扱いは、完全に世に浸透したものではなく一部の研究者が先行して取り入れているような状況だと考えられます。現代で言うところの1850年以降でしょう。時間的に言うとここ最近170年程度になります。「ムラ」の考察と大きくずれることになってしまいますが、「ムラ」の発展が遅れる、または蒸気の発明が早まる何かしらの環境的要因があったのかもしれません。ここからは完全な憶測ですが、タンドンはポケモン図鑑に「400年前に炭鉱で見つかった」との記述があり、ガラル地方ではタンドンをモチーフに早期から蒸気機関の発明が行われていたのかもしれません。

またギンガ団はガラルとの交易をおこなっている記述があり、ガラルを通して蒸気機関の利用が早くからされていたかもしれません。逆に「ムラ」の発展に対しては、アルセウスの時代にけるポケモンが、現実世界のヒト以外の動物よりもはるかに強力で畏怖される対象であったことからもわかる通り、ヒトが生態系の完全な頂点ではないため統一国家の形成に遅れが生じたのかもしれません。

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もう一つ、ボールに関して言及したい点があります。

先ほどはボールの蒸気部分に着目しましたが、、ポケモンをゲットした際は上記のほかに火花のようなものが散っていることがわかります。

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つまり「火薬」が発明されているということです。火薬に関しては9世紀ごろの中国で発明され徐々に世界に広まりました。日本人が初めて火薬を見たのはおそらく元寇による「てつはう」でしょう。

火薬があるというだけではあまり絞れませんがボールの火薬に更に着目すると私たちで言う「花火」に近いように感じられます。日本で初めて花火を見たのは1589年の伊達政宗とも1613年の徳川家康ともいわれています。その後1700年代には花火大会にて一般的に花火が打ち上げられるようになりました。つまりボールの花火に関しては約300年程度前ということになります。ただし花火の発展は戦国の時代から太平の時代へと移り変わり、使い道のなくなった火薬を利用しようとした側面があるため、争いの形跡がみられないヒスイでは300年より前から花火が発明されていたのかもしれません。

 

  • 貨幣の在り方について

ヒスイでは、ポケモンを捉えるのに必要な諸道具や服を、お金を使って購入することができます。当たり前のように感じられるかもしれませんが貨幣というのも人類の大きな発明の一つです。元をたどるとお金というのは、物々交換の需要や供給問題を解消し、物に統一的な価値基準を持たせるために作られた概念ですが、その始まりは古く2500年以上前にはその存在が確認されています。

ではヒスイの時代考証に進みましょう。ここで着目すべきは貨幣経済の浸透度です。日本で最初に作られたお金は7世紀後半の「富本銭」だと言われていますが実際に流通、使用されている確証はなく、その後作られるお金も一部貴族や武士の間で流通するにとどまり、実際に農村まで貨幣が浸透するには江戸時代まで時間がかかりました。コトブキムラにもソノオ通りには多数の店があり、確かに一部では貨幣が流通している様子が見て取れます。ではミオ橋以南の一般の人々の様子も見てみましょう。家屋に住む人びとが直接お金をやり取りする描写はありませんが、農場ではお金を払って農作物を作ってもらうことができます。少しカタい言い方をすれば商品作物を作っている農家の人がいるのです。一応説明をしておくと、商品作物は自身で利用する自給作物と異なり、商品化率の高い作物であり、江戸時代に西日本を中心に広まっていきました。主人公に代わりお金を受け取って余分な作物を作る描写があることから、農民でもお金が必要であることが読み取れ、それだけ貨幣が浸透していると推測できます。よって貨幣的な面から見れば、ヒスイは江戸時代あたりと合致するであろうと推測できます。

 

  • まとめ

ここまでお読みいただきありがとうございました。

長くなりましたが、まとめると「ムラ」制度は1500年以上前、蒸気機関は最近170年程度、花火と貨幣は江戸時代を含む300年程度前と推察しました。それぞれに大きなずれがありますが、途中で記述したように我々の世界とは異なる「ポケモン」の存在が環境要因となって、文明の発達の進展が変化しているのかもしれません。

主観を多分に含む考察ですが、読んでいただいた方の興味を少しでも引くように書けていれば幸いです。また異なる視点からの考察や、この考察にご意見、ご感想等あれば私のツイッター(@TENPE_nchi_)の方までメッセージを送ってくださると喜びます。ぜひ一緒にアルセウスの世界像を共有しましょう。

 

  • p.s.

多分ヒスイの世界で最新の技術は写真屋の持っているカラー写真機ですが、あまりにもこれだけオーバーテクノロジーに感じたので省きました。

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